「喜びの詩」 第49号 2008年9月29日
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目次
□ 世界の成り立ちについて
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
□ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
□ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
■ いくつかのものごとについて
○ 循環
○ 展開のかたち 再び
○ 物質
○ 知を活かすこと
● 相似のたとえ (●前半/○後半)
(本号に掲載するもの:■●)
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─────── 相似のたとえ
ある遊びを考えてみる。
それは、人工的な情報技術によって生み出した、仮想の体験世界の中で、
多くの人が、そこの住人になりきって、社会を成しながら、様々な体験をしていくもの。
こうした遊びをより面白くするには、そこにどんな仕組みを導入すればよいだろうか。
まず、誰もが遊びを楽しめるように、最低限、
その世界に一定の秩序を保ち、悪意をもった活動がはびこらないようにする必要がある。
そのために導入すべき仕組みとは、住人が他者に対して、
悪いことをしたら制裁が、善いことをしたら報償が、それぞれ与えられるというもの。
つまり、他者に影響を与えたら、同等のものが当人に返るという仕組み。
また、遊びの満足度をより高めるには、
その世界の中で、それぞれの住人の望みが、できるだけ叶えられるようにする必要がある。
そのために導入すべき仕組みとは、住人の自主性を尊重しながら、その意向を汲みとって、
必要な出会いを、最適なかたちで、さりげなく提供するというもの。
つまり、望みを具現化させるという仕組み。
さらに、遊びのやりがいをより高めるには、
単に楽しい体験ばかりでなく、
苦しみを乗り越えていく、成長の課程や、
他者との関わりの中で喜びを大きくしていく、善行の課程も、用意していくことになる。
そして、遊びをより豊かにするため、
その世界に、ありありとした現実感をもたらし、
それぞれの住人に、特徴のある姿を与え、
そこでの体験に没入できる仕組みを、整えていくことになる。
この遊びの行き着く先のありようは、まさに「現実の生」の体験と一致してくる。
現実の生が、「もともとの意識」によってつくられた、無限に高度な「遊び」だとすれば、
人の手で高度にしていく遊びのありようが、それに相似してくるのももっともなこと。
こうした遊びのありようを考えるとき、むしろ現実の世界のありようが透けて見えてくる。
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夜の眠りと、肉体の死は、ある意味、相似している。
朝の目覚めと、肉体の誕生も、ある意味、相似している。
つまるところ、一日と、一生は、ある意味、相似している。
一日を一生の縮図として見ることは、日々を充実させる一つの方法になる。
新たな一生が始まるような気もちで、一日を始める。
新たな一生が始まるとき、過去の記憶は封印されるもの。ならば、
新たな一日が始まるとき、昨日までの自分を引きずる必要はないはず。
新たな一日は、新たな一生と同じく、のびのびと希望を描ける、白紙の状態。
実際、一生の内で自分を変える唯一の方法は、ある一日から生まれ変わること。
一生の内の時間を、
前の生の後悔や、次の生の心配に費やすのは、およそ無駄なこと。ならば、
一日の内の時間を、
昨日の後悔や、明日の心配に費やすのも、およそ無駄なはず。
昨日でも明日でもなく、今日を一生として、精一杯生きる。
回想や予想に今を費やすことは、それが喜びにつながる場合にのみ価値があること。
今日一日を一生と思えば、その一刻一刻が、最大限に活かすべき、味わうべきものになる。
やらずに悔いを残さないよう、できるだけのことを今日行う。
一番大切なことを後回しにせず、優先して今日行う。
たとえば、必要な相手に対し、思いきって、謝り、許し、肯定や、感謝や、愛を伝える。
このような日を、ただ一日ももたなかったゆえに、人生に悔いを残すこともありうる。
このような日を、たった一日でももったゆえに、人生が救われることもありうる。
日々をこのような日にすれば、人生は何倍もすばらしいものになりうる。
一生は、その終わりに振り返るとき、
苦しみがあっても、全体として、喜びがより大きかったと思えるようにすべきもの。ならば、
一日も、その終わりに振り返るとき、同じように思えるようにすべきもの。
そこに苦しみがあっても、目先を越えた視点に立って、質の高い喜びを見いだす、または、
そこに苦しみがあっても、それを埋め合わせるだけの、量の豊かな喜びを織り込む、
そうして一日を、総合的に、喜びのより大きなものにする。
この一生を、別の一生のための、捨て石にすべきでないように、
今日一日も、別の一日のための、捨て石にすべきものではない。
日々をまたぐ目標があっても、その過程の一日は、どれも劣らないかけがえのないもの。
武士や騎士は、常に明日の生が定かでない中、今日を一生に見立てることを強いられた。
ゆえにその日々の生き様は、自ずと理想を追求するになった。
彼らの役割が、社会の「不完全さ」から生まれたものとしても、
その生き様が、人の規範になる面をもちえたのは、もっともなこと。
一生は、いわば一日の集団。
一生を充実させる方法は、一日一日を充実させることに尽きる。
そして一日を充実させるには、そこに一生を見いだすことが有効。
一日一日のありように、望ましい一生のありようを宿すこと、
それが結局、一生を、自分の望むものにすることになる。
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天気と感情は相似している。
感情に、喜びを満たした正の状態と、それを遮った負の状態があるように、
天気にも、光と熱を満たした正の状態と、それらを遮った負の状態がある。
ここでも、正の状態はおよそ一つにまとまり、負の状態はいくつかに分かれてくる。
晴れは、喜びに、
風は、怒りに、
曇りは、恐れに、
雨は、悲しみに、それぞれ相似している。
風は、建設的な働きをすれば晴れをもたらす。しかし破壊的な暴風は、状態を悪化させうる。
曇りは、そのままでは晴れをもたらし難い。風か雨に転じれば、進んで晴れへ向かいうる。
雨は、大気を洗い流せば、自ずと晴れへ向かいうる。
感情が、正と負の感情の微妙な配合からなるように、
天気も、正と負の天気の微妙な配合からなる。
もちろん、物質の現象としての天気には、多くの属性が含まれる。
晴れにも、時に苦しみを見いだせる。風、曇り、雨にも、多くの喜びを見いだせる。
それぞれの天気の表情は、表現の豊かさとして味わうべきもの。
天空に描かれる物語も、その主題と対照的な要素を含んでこそ、様々な抑揚と彩りを得るもの。
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あとがき
ここでは、いくつかのものごとの間にある相似を見てみました。
次号は最終号、太陽のありようの中に、相似を見ていきます。
それではまた。
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発行者 哲楽人 週2回発行(月曜・金曜)
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