「喜びの詩」   第41号 2008年9月1日

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
目次

□ 世界の成り立ちについて
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
□ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
□ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
■ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
   ○ 社会
   ○ 教えと道徳
   ○ 集団
   ● 知ることの必要 (○前半/●後半)
   ○ 社会での価値観、世界観
□ いくつかのものごとについて

(本号に掲載するもの:■●)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥



─────

知るにあたっては、もちろん、正しく知ることが望ましい。
偽りの情報や、情報の誤解は、往々にして苦しみをもたらしうる。

他者に偽りの情報を伝えるとき、
それが自分の悪意によるものであろうと、自分の理解力の拙さによるものであろうと、
他者を苦しめる効果は同じでありうる。

他者に誤解を生むような情報を伝えるとき、
それが自分の悪意によるものであろうと、自分の伝達力の拙さによるものであろうと、
他者を苦しめる効果は同じでありうる。

偽りを見抜けず、または誤解をし、相手が苦しみを得てしまうとき、
その原因は、相手の理解力の拙さにもある。
しかし、その情報を伝える行いをとった自分にも、相応の責任は常にある。

他者と社会を成す以上、人知を用いて、互いに思いを、伝え、解することは欠かせない。
一方、「完全な」伝達や理解がない以上、そこに偽りや誤解がいくらか含まれるのも避け難い。

こうして生じる苦しみを、できるだけ小さくするには、
人知を駆使する術を、向上させる他はない。
それはつまり、理解力と伝達力を高めるということ。
また、理解と伝達の正しさを、互いに確かめ合うということ。
人が社会で生きる以上、これらはどうしても必要になること。

偽りや誤解を与えたなら、できるだけ早くそれを正し、解くことが、道徳的に求められる。
それを放置しても許されるのは、相手にとって、そのままにしておく方が喜びであり、
かつ、偽りや誤解とわかっても、苦しみより喜びの方が大きく残るような場合。

偽りや誤解による苦しみを巻き起こさず、また、それに巻き込まれないためには、
よい運をもつことも必要になる。
ただ、自力で最大限それを防ぐこともできる。
そうするにはやはり、できるだけ正しく知り、知らせることが必要になる。

─────

知るにあたっては、知る内容を自覚的に選ぶことが望ましい。
ある内容を知り、思いが誘発され、循環すれば、
その方向へ、ものごとの具現化が進みうる。

喜びにつながる正の内容は、進んで知る価値がある。
苦しみにつながる負の内容は、それをより大きな喜びに活かせるなら、知る価値がある。
しかし、それに活かせないなら、知ることにむしろ害がありうる。

たとえば、病について知って、心配ばかりを膨らませることは、むしろ害になりうる。
それを知るなら、同じだけ、健康についても知るべき。
肉体が平常の働きをするために、体内でどれだけのことが行われているか、
一個の細胞から一人の肉体がつくられるまでに、どれだけのことが行われてきたか、
そこに積み重なっている奇跡のような作用を知り、
それを成り立たせている底知れない「自動の働き」を知れば、安心をより膨らませうる。

たとえば、文明社会の中で、様々な情報媒体から、あらゆる負の内容が伝えられて、
それらを多くの人が、無自覚に見聞きし続けることは、むしろ害になりうる。

負の内容を一方的に知らせるものの一つが、報道。
報道は、法律に触れる出来事を、優先的に扱おうとする。
法律とは、人が人を苦しめる行いについて、許されない限度を定めたもの。
よって報道は、人が人を並外れて苦しめたということの羅列になりやすく、
報道が描く社会は、自ずと負の面に偏ったものになりやすい。
それは社会の一断面にすぎず、大多数の姿を伝えるものではない。
しかし報道は一見、社会全体を総括したような印象を与える。ゆえにその分、
報道を通して社会を捉えようとすれば、新たな理解とともに、誤解も深めうる。

報道は、社会に対する評価としての面をもつ。
そして、評価は予言性をもつ。
ゆえに、社会に与え続けられる負の評価は、実際に社会を負の方向に導く力をもちうる。

人の行いとして最低の内容ばかりを、最大限につまびらかにし、
あらゆる人の認識に届くように、繰り返し大きく報道するなら、
それは、注意を喚起する効能を遥かに超える、悪影響を社会にもたらす。
人々が、そうした負の内容で日々の思いを満たし、そうした内容に何よりも親しみをもち、
社会や人に対する理想をどこまでも落とせば、自ずとそうした世相が誘発されることになる。

つまりこれは、社会全体に、負の体験の循環をつくり出すもの。
それは、喜びを拡大させるという、生というものの方向性に、そもそも逆行しているもの。
誰も望んでいないのに、こうした報道がなされるのも、社会の「不完全さ」による。
間接的な力が積み重なって、結果的に無責任な状況が生み落とされている。
実際、人の行いの内、悪行ばかりを集めて知るということに、確かな意義がある訳ではない。

善であれ、悪であれ、事実は隠すべきものではない。
それらを公表することで、善を肯定し、拡大させ、悪を非難し、縮小させうる。
しかし大々的な報道は、ものごとを単に公表するよりも、拡大させる働きに特化したもの。
だとすれば、報道が扱うのに適した内容は、本来、善。
善を無視し、悪のみを取り上げ、社会全体に知らせれば、必然的に負の傾向を力づけるのみ。

一つの断面を離れて、広く見渡すほど、
世の中にはすばらしいものごとの方が、圧倒的に多いことに気づける。
そもそも一人一人の体験世界は、報道されるような色で一律に染まってはいない。
自分の体験世界は、基本的に独自のもの。
社会の状況と、どのように関わるか関わらないかも含めて、自分のもの。
そして、社会の一人一人が抱いているのが、喜びか苦しみかは、外見からは測り難いもの。
ただ、全ての人が、少しでも喜びの大きい方へ向かって生きていることは、確かなこと。

負の要素が事実として報道されるなら、その何倍もの正の要素がある事実を思い、
何ごとにも下には下があることを知るなら、上には上があることも併せて知る、
そうすることで、社会を捉えようとする際の、誤解を小さくしていける。
そして人々が、正の内容で思いを満たし、そうした内容に親しみをもち、
社会や人に対する理想を高めれば、自ずとそうした世相が誘発されることにもなる。

様々な情報に接する社会において、どんな情報と出会うかは、運にもよる。
ただ、それをさらに進んで知るかどうかは、人の自由。
正の内容を進んで知れば、正の思いを誘発し、喜びを引き寄せることもできる。
そうするにはやはり、知る内容を自覚的に選ぶことが必要になる。



‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 あとがき
ここでは、嘘や誤解というものについて、また犯罪報道などについて考えました。
次号のテーマは、社会での価値観、世界観、です。
 それではまた。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

発行者 哲楽人  週2回発行(月曜・金曜)
バックナンバー掲載サイト http://www.yorokobi.info

前号へ / 次号へ