「喜びの詩」 第32号 2008年8月1日
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
目次
□ 世界の成り立ちについて
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
□ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
■ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
○ 他者との間の感情と体験
○ 悪と罪
○ 勝利感と敗北感
● 敗北感の解消 (○前半/●後半)
○ 他者への典型的な行い
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて
(本号に掲載するもの:■●)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
─────
一方的な想定による敗北感、これを解消するにあたって、有効な解し方や考え方がある。
他者の行いが、善意によるものでも、人は一方的な想定によって、敗北感をもつことがある。
たとえば人は、自分のよくない点が指摘されたとき、
往々にして、自分が負かされたように感じ、敗北感をもってしまう。
他者の意図がどうだったかは、最終的に、外面的な情報からは測りきれない。
ゆえに、負の方向に思い込みをすれば、
状況がどうあれ、また相手の弁明がどうあれ、相手は負かすつもりだったと思えてくる。
しかし、思い込む方向は、正の方向でも構わないはず。そうすれば、
状況がどうあれ、また相手の弁明がどうあれ、負かすつもりはなかったと思えてくるはず。
最終的に、どちらとも捉えうるものなら、自分の望む方向に捉えるべきもの。
望まない方向の思い込みをやめれば、こうした敗北感は解消しうる。
望まないのに、どうしても負の方向に捉えてしまうなら、
それは負の方向に偏った、習慣的な解し方や考え方によるもの。
その「鋳型」を正の方向に変えていけば、やはり敗北感は解消しうる。
行いのやりとりがなくても、人は一方的な想定によって、敗北感をもつことがある。
たとえば人は、容姿、体力、知力、技能、所有物、生まれた境遇、社会的行動の大きさなど、
思い思いの尺度で、自分と他者を比べて、自分の喜びが小さいと感じ、敗北感をもってしまう。
しかし、本当の喜びの大きさは、最終的に、外面的な尺度では測りきれない。
少なくとも確かなことは、
外面的にどうあれ、自分の中で成長や善行を実感できているとき、その人の喜びは真に大きく、
外面的にどうあれ、それが実感できていないとき、そうではないということ。
よって、外面的な尺度によって敗北感をもつことは、常に的外れでありうる。
他者はいくらでもいるもの。
他者がもつ属性も、またいくらでもあるもの。
それらの属性の表現には、上には上があり、下には下がある。よって、
誰と自分を比べるかは自由。
何をもって喜びを比べるかもまた自由。
結局、勝利感をもつか、敗北感をもつかは、自分で自由に選べるもの。
つまり、自らそれを選び続けるのをやめれば、こうした敗北感は解消しうる。
望まずともそれを選んでしまうなら、その「鋳型」を変えていけば、やはりそれは解消しうる。
人は時に、他者と比べて、自分をひどく劣った存在に思ったり、
自分の存在意義に疑問をもったりしうる。
しかし、どんな個体も、その生を味わう意義があるからこそ生まれている。
少なくとも最初に、その個体の生を具現化させようと、望む思いをもったのは自分。
「完全な」作曲家が、その才能を曲の上に表現するには、
それぞれの曲の味わいをより高め、より多くの違った曲を作曲していく、無限の展開が必要。
それと同じく、
「完全」である「もともとの意識」が、その「完全さ」を生の上に表現するには、
それぞれの生の味わいをより高め、より多くの違った生を体験していく、無限の展開が必要。
それゆえ、実に様々な「個体の個性」が存在し、また生まれ続けている。
今の自分の人生も、いわば、他にない調子を体験するための、かけがえのない一つの曲。
ここですべきことは、他の曲を羨んだり、他の曲を奏でようとすることでなく、
自分の曲の味わいを高め、響かせることのみ。
つまり、今のこの人生を、より大きな喜びにすることのみ。
どんな個体の生も、それを体験しているのは、
「もともとの意識」。それは結局、もともとの自分。
「鋳型」に沿って、個々の役になりきっているゆえに、それを認識できないだけ。
だとすれば、
自分が羨むような他者の生も、それを体験しているのは、つまるところ、もともとの自分。
よって、他者を羨む必要はなく、他者の人生を望む必要もない。
他者の人生は、他者を通してしっかり味わえばいいこと。
今の自分は、目の前にある境遇を活かし、その人生を味わうためにここにいる。
この視点に立てば、人は、自分と他者の違いを見ても、
無闇に敗北感をもって、羨んだり、妬んだりせず、他者を讃えられるようになる。また、
無闇に勝利感をもって、蔑んだり、威張ったりせず、あらゆる他者に敬意をもてるようになる。
自分も他者も、その個体を「演じ」ているのは、同じ「もともとの意識」。
最終的にこの視点に立つことで、一方的な想定による敗北感を、解消していくことができる。
─────
他者に負かされる敗北感、これを解消するにあたって、有効な解し方や考え方がある。
生というありありとした体験は、喜びを主題にしたもの。
そして、「他者との関係」も、その体験の内の一つ。
だとすれば、ここに一つの姿勢が成り立つ。
「喜びを与え合う、他者との正の関係については、
そのままのありよう目を向けて、それを実在として味わい、
苦しみを与え合う、他者との負の関係ついては、
もともとのありように目を向けて、それを情報の表現とふまえる」
これは、積極的に主題に沿って、ものごとをを捉えていく姿勢。
つまり、進んで喜びを最大化し、進んで苦しみを最小化しようとする姿勢。
この姿勢のもとでは、負の関係を、そのままのありようにおいては捉えない。
他者との関係は、「もともとの意識」の「演じ分け」によって成り立つ、情報の表現。
つまり、一つの主体が実在するのみで、他者も自分も、もともと一体のもの。
ここに立って、負の関係を捉え直すことになる。
この姿勢は、愛の姿勢とも言い換えうるもの。
これは、他者に負かされる負の関係において、
対立する他者は本来存在しないという思いを生み出し、
それを前提にした行いを生み出す。
そして、その思いと行いは、「具現化作用」に働きかけ、他者に働きかけていく。
そこに、負の関係を解消していく、現実の力が生まれてくる。
そもそも、一つであり全てである、「もともとの意識」にとって、他に対立するものはない。
とすれば、「演じ分け」によって生まれた個体同士が、仮に対立したとしても、
そこに本当の意味の対立はないはず。
自分も他者も、その個体を「演じ」ているのは、同じ「もともとの意識」。
最終的にこの視点に立つことで、他者に負かされる敗北感も、解消していくことができる。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
あとがき
ここでは、劣等感や被害意識などを解消するための考え方を取り上げました。
次号では、他者への行いの内、負かすこと、許すこと、肯定すること、について、
掘り下げて考えます。
それではまた。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
発行者 哲楽人 週2回発行(月曜・金曜)
バックナンバー掲載サイト http://www.yorokobi.info
前号へ / 次号へ