「喜びの詩」   第29号 2008年7月21日

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目次

□ 世界の成り立ちについて
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
□ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
■ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
   ○ 他者との間の感情と体験
   ○ 悪と罪
   ● 勝利感と敗北感 (●前半/○後半)
   ○ 敗北感の解消
   ○ 他者への典型的な行い
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて

(本号に掲載するもの:■●)
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─────── 勝利感と敗北感


他者とは、自分とは違う存在。
生というものが複数の存在し、体験されることの意義は、まさにその「違い」にある。
その様々な違いの中には、当然、喜びについての違いもある。

他者に相対するとき、自分と他者を比べて、その違いを確かめ、
どちらの喜びがより大きいかを思うのは、ある程度自然なこと。
それはつまるところ、自分と他者に、勝ち負けの構図を見ること。
そして基本的に、自分が勝ちたいと思うことも、また避け難いこと。
それは、より大きな喜びを求める方向性から来る、必然的なこと。

他者と比べて、
自分の喜びが大きいと感じれば、勝利感という喜びが生じうる。
自分の喜びが小さいと感じれば、敗北感という苦しみが生じうる。
他者との間に生じる、様々な喜びや苦しみの内、これらは、
他者との関係そのものに注目する際の、最も原初的な喜びと苦しみにあたる。

勝利感とは、比べる対象があって成り立つ喜び。
それは、喜びがより大きいことを、喜ぶもの。
それは、純粋なかたちで取り出せば、
他者の敗北感を伴わないものとしても成り立ちうるもの。
つまり、より質の高い喜びとしても成り立ちうるもの。

他者との間で、何をもって喜びを比べるかは、人により、また時により異なる。
そこに行いのやりとりがあれば、その瞬間の状況をもって比べることになる。
それがなければ、互いのもつ様々な属性を見て、それをもって比べることになる。

行いのやりとりなしに生じる、勝利感や敗北感は、
様々な属性を比べるという、一方的な想定によるもの。ここで、
勝利感や敗北感を味わうに至った、原因の一端は他者にあっても、その責任は他者にはない。
また、自分がそれをただ味わうだけなら、他者に影響も与えない。
つまり、この段階では、あくまで自分の中の出来事。
実際の他者に限らず、周囲の状況や、過去の自分や、先人の足跡などを、
仮想の他者に見立てて、それに対して勝利感や敗北感を味わうことも、これに含まれる。

行いのやりとりによって生じる、勝利感や敗北感は、
当事者が意図した結果だったり、意図しない結果だったりする。
後者の勝利感や敗北感は、それを味わう側の、やはり一方的な想定によるもの。
ただ、意図しなくとも、それを与えるような行いをした側には、責任が生じてくる。
そして相手から、勝利感や敗北感を、意図して返されることにもなりうる。

意図して相手に敗北感を与える際、人は勝利感を望んでいる。
自分が勝利感を得て、他者に敗北感を与える行い、それにあたるのが、他者を負かす行い。

意図して相手に勝利感を与える際、人は敗北感を望んでいるとは限らない。
ゆえに、その行いはいくつかのかたちに分かれてくる。
自分が敗北感を得て、他者に勝利感を与える行い、それにあたるのが、謝る行い、許す行い。
自分は中立のままで、他者に勝利感を与える行い、それにあたるのが、他者を肯定する行い。
自分も勝利感を得て、他者に勝利感を与える行い、それにあたるのが、他者に感謝する行い。
他者の味方になって、他者に勝利感を与えながら、他者を自分と一体と見なすことで、
勝ち負けの構図そのものを成り立たなくする行い、それにあたるのが、他者を愛する行い。
これらをまとめれば、他者を勝たす行いと言える。

負かす、謝る、許す、肯定する、感謝する、愛する、
これらは、他者への典型的な行い。
これらは、様々な具体的な行いと一緒に重ね合わされ、
他者との関係に注目する際に、浮かび上がってくるもの。
人は、やりとりされる具体的な行いに、直接に喜びや苦しみを感じるとともに、
そこに浮かび上がるこれらの行いの状況をもって、勝利感や敗北感を感じることになる。

他者との間の、意図した行いのやりとりは、
どんなに複雑に見えても、他者との関係に注目する限り、
これら典型的な行いの、微妙な配合として読みとれる。

負かし合うことは、敗北感を与え合うことであり、
苦しみを与え合う、負の関係にあたる。

謝り合う、許し合う、肯定し合う、感謝し合う、愛し合うこと、つまり、
勝たし合うことは、勝利感を与え合うことであり、
喜びを与え合う、正の関係にあたる。

肯定する行いとは、
認める、ほめる、敬う、などを含むもの。

感謝する行いとは、
礼を述べる、恩返しをする、などを含むもの。

愛する行いとは、
思いやる、大切にする、助ける、応援する、などを含むもの。
これが強まると、「身代わり」にもつながる。

負かす行いとは、
傷つける、いじめる、威張る、などを含むもの。
これが強まると、生を奪うことや戦争にもつながる。
また、他者に勝利感を与えない行いも、負かす行いに含まれる。すなわち、
謝らない、許さない、
肯定しない、つまり、認めない、けなす、蔑む、
感謝しない、つまり、礼を述べない、恩を仇で返す、
愛さない、つまり、冷たくする、ぞんざいにする、見放す、孤立させる、なども含まれる。

人が勝利感を得るのは、
一つは、一方的な想定による場合。
一つは、他者を負かす場合。
一つは、謝られる場合、許される場合。
一つは、肯定され、感謝され、愛される場合。
一つは、他者に感謝する場合。

人は勝利感を望むゆえ、
他者より優れたいと思い、
他者を負かしたいと思い、
他者に罪があれば謝ってほしいと思い、自分に罪があれば許してほしいと思い、
他者から肯定されたい、感謝されたい、愛されたいと思い、
他者に感謝するような状況を望む。

ただ、それぞれで得られる勝利感には、喜びの質に違いがある。
他者の敗北感を伴うものは、他者への善行の面から見て、質の高い喜びにはあたらない。

一方的な想定による勝利感は、具体的な行いに表せば、相手を負かすことになる。
他者を負かす際の勝利感は、相手の敗北感を伴う。
謝られる際、許される際の勝利感は、相手の敗北感や、過去の負の関係を伴う。
肯定され、感謝され、愛される際の勝利感は、相手の敗北感を伴わない。
他者に感謝する際の勝利感も、相手の敗北感を伴わない。

つまり勝利感の内、より質の高い喜びにあたるのは、
肯定され、感謝され、愛される際と、他者に感謝する際の勝利感。

また、実際の他者でなく、仮想の他者に打ち勝つという勝利感も、
自分の成長の面から見て、質の高い喜びにあたる。

人にとっての喜びは、勝利感に限らずある。つまり、他者との関係に限らずある。
しかし、複数の他者との社会生活が、人の関心を占めるにつれ、
こうした喜びが、人の求める喜びの、多くを占めることにもなる。



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 あとがき
ここでは、自・他の相互作用についての、一つのモデルを提示しました。
一旦冷徹に、勝ち負けという構図を直視することで、
相手を“勝たす”ことや、勝ち負けを超越することなど、
人間的な価値のある行動についても、輪郭を明らかにできるのではないかと考えました。
次号では、勝利感と敗北感にまつわる、具体的な話を取り上げます。
 それではまた。
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発行者 哲楽人  週2回発行(月曜・金曜)
バックナンバー掲載サイト http://www.yorokobi.info

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