「喜びの詩」   第25号 2008年6月30日

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目次

□ 世界の成り立ちについて
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
■ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
   ○ 感情の循環
   ○ 体験の循環
   ○ 完全さと不完全さ
   ○ 苦しみの成り立ち
   ● 苦しみの解消 (●前半/○後半)
□ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて

(本号に掲載するもの:■●)
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─────── 苦しみの解消


苦しみの体験には、二通りある。それは、
自分で自覚して選びとるものと、「因果作用」を経てもたらされるもの。

自覚して選びとる苦しみとは、
苦しみが伴うことがわかっていながら、ある喜びを目指すことで、得てしまう苦しみ。
目指すのが質の高い喜びなら、それはたとえば、成長に伴う目先の苦しみ。
目指すのが質の低い喜びなら、それはたとえば、憂さ晴らしに伴う自虐的な苦しみ。
こうした苦しみを解消する方法は、
前者では、先にある喜びを強く思うことや、その他の有効な解し方、考え方を試みることなど。
後者では、自らそうした喜びを目指すのをやめることのみ。

「因果作用」を経てもたらされる苦しみは、
遠い過去から直近までの、自分の負の思いや行いが結果したもの。あるいは、
今の自覚になくとも、過去の自分が、あえて成長のために望んだもの。あるいは、
他者が、成長を促す善意をもって、または悪意をもって、または意図せずにもたらすもの。
ただ、主な原因が、他者の自由な意志にあっても、いくらかの原因は自分にもある。
少なくとも、他者がもたらそうとする苦しみを、受け入れる状況を許したのは自分。

自ら望まなかった苦しみがもたらされる、根本の原因は、
人が、喜びを最大化するように思いや行いを選んでいても、
そこに判断の誤りが含まれ、苦しみを選ぶ自由を行使してしまっていること。
それは結局、能力に「不完全さ」が含まれるゆえに起きること。
そしてこれは、何らかの制限下で動くという、「演じ」る表現に避けられないこと。

原因はどうあれ、もたらされた苦しみを解消する方法は、
まず、その苦しみの出来事を、一つの信号として受け止めること。
そして、思いあたる全ての負の原因を改めること。
それが済んだら、または、原因が思いあたらないなら、後はひたすら、
苦しみを解消した状況、つまり喜びの状況を、強く思い、
その状況に向けた、あらゆる行いを重ねていくこと。
その際、有効な解し方や考え方を用いること。
起きた出来事に対して、それ以上、負の感情や暗い思いをもたず、
正の感情と明るい思いをもって、次に起きる出来事を正の方向に導くこと。
望む状況の達成までに、継続的な取り組みが必要なら、その過程を喜べるものにすること。

結果の状況を改変して、苦しみから逃れても、
負の原因が働いたままなら、それを知らせる信号として、苦しみは再び現れる。
原因となる思いや行いを、正の方向に改めることで、苦しみは真に解消される。

苦しみの体験の内、体に関するものが、病や怪我。
痛みという苦しみは、最もわかりやすい負の信号として、
時に人の活動を遮り、強制的に原因を改めるように促すもの。

病や怪我の原因も、つきつめれば、思いや行い。
自由な行いが、体に害を加えることもあれば、
「運」に従った行いが、体に害を加えることもある。
思いが、意識と連動する体に、すぐに負の変化を生み出すこともあれば、
思いや行いが「因果作用」を経て、体にゆっくりと負の変化を生み出すこともある。

つまり、病や怪我も、基本的な原因は、他の苦しみと変わらない。
とすれば、基本的な解消の方法も、やはり変わらないことになる。

負のものごとに執着し、それがなかなか断てない場合は、
そのものごとに実際に直面することで、執着を断てることもある。
そこでは、一旦苦しみを味わっても、そこから喜びの方向へ転じていける。
よって、そこでの苦しみは、喜びの始まりを告げる信号として受け止めうる。

苦しみの出来事を予防する方法は、
その原因になる、負の思いや行いをもたないこと。
自分や他者に、より大きな喜びをもたらすような、正の思いや行いをもつこと。
たとえば、
喜べるものごとを見聞きするようにし、
喜びの感情を循環させるようにし、
自分の喜びや、他者の喜びを、進んで思い描くようにし、
自分の喜びや、他者の喜びを、真に最大化するように行いを選ぶようにする。
そこには自ずと、成長と善行が伴う。
こうして、負の原因をつくらないだけでなく、進んで正の原因をつくることで、
過去の原因による負の結果も、未然に打ち消せるようになる。

法則とは、無限の処理能力をもって働くもの。「因果作用」もその一つ。ゆえに、
生を補佐するその働きが破綻することはなく、その破綻で苦しみがもたらされることもない。
生に没頭する視点から見れば、それは一つの救い。
大局的な視点から見れば、それは一つの必然。
そもそもどんな苦しみの体験も、莫大な補佐の恵みがなければ、一瞬も成り立ちえないもの。

たとえ、寿命に至らずに肉体の死がもたらされても、補佐の働きが破綻した訳ではない。
それは、負の要素と限定性がつきまとう、ありありとした世界の中で、
自分や他者の様々な自由なかじ取りが、避けられなくしたもの。
「因果作用」は、あくまでかじ取りに従う中で、最善を取り計らうしかないもの。
ただ、肉体の死後も、生は体験世界を替え、かたちを変えて続いていく。
「因果作用」は、それらの生を、横断的に補佐するもの。
つまるところ、どこまで行っても、補佐が破綻することはない。



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 あとがき
ここでは、苦しみを解消する方法について、まず大きな枠組みを考察しました。
様々な具体的な方法は、これらのどこかに位置づけられるはずです。
次号では、そうした方法の内、解し方や考え方を試すものについて掘り下げます。
 それではまた。
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発行者 哲楽人  週2回発行(月曜・金曜)
バックナンバー掲載サイト http://www.yorokobi.info

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