「喜びの詩」 第22号 2008年6月20日
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目次
□ 世界の成り立ちについて
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
■ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
○ 感情の循環
● 体験の循環
○ 完全さと不完全さ
○ 苦しみの成り立ち
○ 苦しみの解消
□ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて
(本号に掲載するもの:■●)
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─────── 体験の循環
物質の世界の現象は、多くの属性を含んだ、緻密な情報と見なせるもの。
それは、ある属性を含むとき、それと対照的な属性も、常にいくらか含むもの。
つまり、正か負のどちらか一方だけでなく、両方の要素を含むもの。
これは、ありありとした現実的なありようをもつ以上、必然のこと。
人が現象に出会うことで、現象は人にとっての出来事になる。
つまり出来事は、現象そのものと、出会う側の感じ方からなる。
感じ方とは、取り込む情報を瞬間的に取捨する、ふるいのようなもの。
現象に含まれる情報の内、どこまでが人に取り込まれるかは、その感じ方によって決まる。
同じ現象でも、人により、また時により、感じ方が違えば、それは違った出来事になる。
現象には、正と負の両方の要素が含まれる以上、どの要素を取捨するかで、
出来事の評価は、正にもなれば負にもなる。
現象には、特定の色だけが付いている訳ではない。
人の感じ方が、特定の色を取捨することで、結果的に現象に色づけをする。
出来事を、どう解し、どう考えるかによって、さらにその評価は変わりうる。
たとえば、出来事を思い返せば、その時々の解し方によって、その評価は変わりうる。
考え方の視点を動かしていけば、その評価は正から負へ、負から正へと、循環的に変わりうる。
ここでは、人の解し方や考え方が、新たな色をもたらすことで、進んで現象に色付けをする。
つまるところ、現象への評価は、感じ方、解し方、考え方を通して成り立つ以上、
絶対的なものでありえず、常に相対的なもの。
たとえば、人は夜という現象に出会うとき、
「闇」「冷」「静」という純粋な負の要素を読みとって、負の感情を起こすとは限らない。
物質の現象としての「闇」「冷」「静」の中には、豊かな属性が含まれる。
漆黒の「美しさ」や、涼しい「快さ」、静寂の「安らぎ」といった、
正の要素を読みとって、正の感情を起こすこともできる。
つまり、現象には、正か負のどちらかの色だけが付いている訳ではない。
たとえば、どんなに汚いと思える物も、拡大していけば、原子核と電子の集まり。
どの原子核や電子にも、もはや汚さは見あたらない。
つまり、同じ現象でも、感じ方、解し方、考え方によって、その評価は変わってくる。
たとえば、「厳しく叱ること」と「優しく慰めること」は、どちらも正と負の両面を含み、
どちらが善いことかは、相手の感じ方、解し方、考え方によって変わってくる。
いつでも、誰にとっても、全くの喜び、全くの苦しみ、全くの善、全くの悪であるものごとは、
結局、ありありとした個々の現象としては存在しない。
つまり、個別の現象には、絶対的な評価は成り立たない。
現象と出会い、感じる。そして、解し、考える。そして、思い、行う。
そして再び、現象と出会い、感じる。
これが、「識」から「意」へ、そして再び「識」へと巡る、体験の循環。
思い、行なってから、現象と出会い、感じるまでの展開は、
「自動の働き」が担う。そこに人は、間接的に関わるのみ。
現象と出会い、感じてから、思い、行うまでの展開は、
「自動の働き」の補佐はあるものの、人が直接関われるところ。
そこをどうするか、つまり、
どう解し、どう考えるかが、実質的に人の生を左右する。
「因果作用」は、それぞれの人の感じ方に応じて、もたらすべき大きさの喜びをもたらす。
よって、一旦それを感じることは、避けられない。
しかし、それを感じた後は、それをどんな思いや行いにつなげるかは自由。
感じたとおりの感情を循環させ、それに沿った行いをするのも自由。
感じたのと反対の感情を循環させ、それに沿った行いをするのも自由。
つまり、感じたことをどう解するか、どう考えて思いや行いを生むかは、人の自由。
負の出来事を受けて、常に、負の思いや行いを生むなら、
「因果作用」によって、再び負の出来事がもたらされ、
負の体験の循環から抜け出せなくなる。
負の出来事を受けても、切り替えて、正の思いや行いを生むなら、
「因果作用」によって、次には正の出来事がもたらされ、
正の体験の循環をつくり出せる。
つまり、体験の循環における正と負を、自力で切り替えていけるのは、
現象と出会い、感じてから、思い、行うまでの間のみ。
苦しみの循環を、喜びの循環へと切り替えていく主な現場は、人が解し、考える間にある。
感じ方、解し方、考え方は、思いへ向かって、順に情報を送る「鋳型」。
それぞれの区分けは、大まかな特徴によるもので、そこに具体的な境はない。
いずれも思いによって変化させうるもので、後者ほど「意」の能動性が勝り、変えやすいもの。
たとえば、感じ方は、急に大きく変えにくくとも、
解し方や考え方は、新しいものを試しやすく、時に複数のものを使い分けられる。
よって、体験の循環を切り替えていくには、解し方や考え方を変えるのが有効になる。
見方、視点、姿勢などは全て、解し方や考え方にあたる。
人の身に付いている、感じ方、解し方、考え方、これらの全体は、
その人が、あらゆる情報の入力に対し、どんな出力をするかという型。
また、どのような場合に、どのようにふるまうかという、全てのかたち。
これはつまり、その人の「意識の属性」にあたる。
この中に、感情の「鋳型」も含まれる。
喜び難く感じる出来事があっても、
解し方次第で、その状況に喜びを見いだしていける。
考え方次第で、その状況を喜べる方向へ動かしていける。
つまり、体験世界の状況は、「識」の反映であり、「意」の反映。
つまりそれは、自分の意識を反映するもの。
自分が変われば、世界は変わって見え、
また現に、世界は変わり出すことになる。
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あとがき
ここでは、体験の好循環、悪循環などが成り立つ仕組みを考察しました。
次号では、人が生きていく上でもつ基本的な世界観、
「世界は完全か不完全か」について考えます。
それではまた。
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発行者 哲楽人 週2回発行(月曜・金曜)
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