「喜びの詩」   第15号 2008年5月26日

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目次

□ 世界の成り立ちについて
□ 人のありようについて
■ 生きることについて
   ● 生きる目的
   ○ 喜びの最大化
   ○ 成長と善行
   ○ 刹那主義と達成主義
   ○ 利己主義と利他主義
□ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
□ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて

(本号に掲載するもの:■●)
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─────── 生きる目的


生というものに、もともと目的があるとすれば、それは隠されてはいないはず。
それが生の目的としてふさわしいものかどうか、判断できるもののはず。

たとえば、一見目的と思われることの、さらなる目的にあたるもの。
目的の連鎖の行き着く先の、それ以上の目的を問えないもの。
それが、生の本当の目的としてふさわしいもの。

たとえば、目的として自覚されていなくとも、誰もがすでに目指しているもの。
何の前提もなく、誰からも教えられずに、自ずと向かっていけるもの。
それが、生の本当の目的としてふさわしいもの。

たとえば、ある時間と空間の一点で、達成されてしまわないもの。
達成とともに失われてしまうものでなく、尽きることなく永続するもの。
それが、生の本当の目的としてふさわしいもの。

たとえば、過去へたどった先にいる、原初の主体の、活動の目的と一致するもの。
未来へたどった先にいる、どこまでも進歩した者たちの、生きる目的とも一致するもの。
つまり、全てが満ち足りた状態でも、さらに向かっていけるもの。
それが、生の本当の目的としてふさわしいもの。

生の本当の目的としてふさわしいのは、少なくともこれら全てにあてはまるもの。
とすると、それにあてはまるものは、一つ挙げられる。それは、「喜び」。

現に、人のあらゆる行いについて、それを何のためにするのか、
その目的を問い、そのまた目的を問い、目的の連鎖をたどっていくとき、
行いの種類によらず、たどった経路によらず、その答えは全て一つに収束する。
それは「喜びのため」。
逆に、喜びは、それ以上何のためかを問えない、唯一のもの。

たとえ自分を苦しめるような行いを選ぶことがあっても、その目的は喜び。
憂さ晴らしに自虐的な行いをするのも、
自分から進んで困難に立ち向かうのも、
自分を犠牲にして他者を助けるのも、
そうしない方が苦しみが大きい、つまりそうする方が喜びが大きいと判断するゆえ。

そうした判断は、人により、また時により異なり、
必ずしも常に正解とは限らない。しかし、人は結局、
その時の自分にとって、総合的に、より喜びが大きいと考えられる方へ動くもの。
どんな場合も、主体の方向性がそれに反することはない。

主体とは、自覚をもって活動する存在。
つまり、実際の主体とは、意識のこと。
主体性とは、自ら望む方へ向かって活動する性質。一方、望みを叶えることは喜び。
つまり、実際の主体性とは、喜びへ向かって活動する性質のこと。
主体性が、主体にとって欠かせないものであるように、
喜びの方向性は、意識にとって欠かすことのできないもの。

人が自由に行うことだけでなく、体の本能として行うことも、喜びを伴う。
つまるところ、人の活動の動機になりうるものは、喜び以外にないことになる。

全てのものが、原初の主体である「もともとの意識」から生まれたとすれば、
自分の意識の働きは、「もともとの意識」の働きに相似したもので、
自分の主体性というものも、「もともとの意識」の主体性に相似したもの。
自分のあらゆる活動の動機が、喜びであるのなら、それは、
「もともとの意識」の活動の動機も、やはり喜びであることを示すもの。
自分の目指す最終的なありようが、喜びにあふれたものであるのなら、それは、
「もともとの意識」のありようも、やはり喜びにあふれたものであることを示すもの。

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喜びが人生の目的であっても、
それが小さいものにとどまり続けては、目的を満たすことにならない。
人は自ずと、より大きな喜びへ向かっていくことになる。
そしてその際に、二次的に、より具体的な目的をもつことになる。
人生の具体的な目的とは、たとえば、
「修行すること」、つまり、自分を磨くこと、
「何かを悟ること」、つまり、何かを知り、学び、気づくこと、
「何かを実現すること」、つまり、何か理想的な状況をつくり上げること、など。
こうしたことを生の目的として設定することは、大きな喜びを得るのに有効なこと。
ただ、これらを生の最終の目的と見ると、矛盾が生じてくる。

もし「修行すること」が最終の目的で、
その苦しい過程の先に、喜びがもたらされないなら、誰もそれを行わないはず。
その先に喜びの境地があるからこそ、修行は行われる。

もし「何かを悟ること」が最終の目的なら、
全てがわかっている「もともとの意識」において、目的はすでに達されており、
あえて無知な存在が生まれ、悟るという過程がつくられた意義が見いだせない。
その過程に喜びがあるからこそ、悟ることは意義をもつ。

もし「何かを実現すること」が最終の目的なら、
それを実現しないと、生は無意味になり、
それを実現すると、それ以後の生は目的を失い、また無意味になる。
実現したい内容を設定し、それに向かっていくこと自体に喜びがあるからこそ、
何かの実現は、生を意義あるものにし続ける。

これら具体的な目的は、いずれも、ある水準を設定し、それを達成しようとするもの。
一方、もともと生という表現は、「完全な状態」から、あえて降りてなされたもの。
それはやはり喜びのため。単にもとの水準に戻るのが目的なら、初めから降りる必要はない。
また、生という表現は、喜びへ向かって無限に展開するもの。
それが向かう水準に限度はない。ある特定の水準の達成は、最終の目的として不足する。
よって、ある水準の達成を、生の目的にするときは、むしろ、
その水準を仮のものとふまえ、喜びを最終の目的とふまえることで、
それは有効なものになり続ける。

「子孫を残すこと」も、生の具体的な目的になりうる。
これは、長い歳月をかけてつくられた生物の体を、物質の世界に存続させ、
この「舞台」で「演じ」るための個体を、絶やさないようにすることにあたる。
ただ、もしこれが最終の目的なら、
生の存在する目的が、単に生を存在させることになり、やはり矛盾が生じる。
それぞれの生に喜びがあり、それを目的としてこそ、子孫を残すことが意義をもつ。

ある水準の達成は、生における「進歩の展開」に沿うもの。
子孫を残すことは、生における「多数の展開」に沿うもの。
つまり人の生において、「進歩の展開」と「多数の展開」は、喜びを大きくする主なもの。
ゆえに人の生は自ずと、無限の多数の、無限の進歩に、向かわずにはいられない。
そしてその展開は自ずと、生を「完全」な表現にしていくことになる。

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人にとって、よいこと、有益なこと、役に立つこと、意義のあること、
これらは何によって測られるかと考えれば、
結局、どれだけの喜びがあるかということに行き着く。

人にとって、尊い行い、立派な行い、価値ある行い、すばらしい行い、
これらは何によって測られるかと考えれば、
結局、人にどれだけの喜びを与えるかということに行き着く。

人にとって、望ましいこと、大切なこと、すべきこと、
これらは何のためにそうなのかと考えれば、
結局、喜びを大きくするためということに行き着く。

善とは、つまるところ、他者に喜びを与えること。
悪とは、つまるところ、他者に苦しみを与えること。
善も悪も、自分にとって、喜びのためにすることに変わりない。つまり基本的に、
悪とは、他者を苦しめて、自分が喜ぶこと。
善とは、他者を喜ばせて、自分も喜ぶこと。

勝ちとは、つまるところ、比較の上で喜びが大きいこと。
負けとは、つまるところ、比較の上で喜びが小さいこと。

教えとは、苦しみを未然に避ける道、つまり喜びへの近道を示すもの。
これは人を、高い能力へ導くもの。

道徳とは、より多くの他者に、より大きな喜びを与えることを目指すもの。
これは人を、高い人格へ導くもの。

礼儀や作法とは、他者に喜びをもたらし、苦をもたらさないためのもの。
そのかたちを全て知らずとも、目的に沿ってふるまえば、自ずと適切なかたちをとれるもの。

結局、人にとって、全ての価値観は、喜びに通じている。
生の目的が喜びだとすれば、それはもっともなこと。



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 あとがき
巷の様々な言説の中で、「人の生きる目的」が語られていますが、
多くの場合、その結論付近には、喜びという意味の言葉が登場します。
たとえば、「〜が生きる目的である。それを達することで、真の喜びが得られる‥‥」等々。
それぞれの言説で結論が違っていても、共通して喜びという言葉が現れるとすれば、
喜びそのものを最終の目的と見ることが、やはり生産的に思えてきます。
そして次に、具体的にその喜びとはどういうものか、という中身の議論をすればよくなります。
次号では、喜びの「質と量」というものを通して、その辺を考察していきます。
 それではまた。
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発行者 哲楽人  週2回発行(月曜・金曜)
バックナンバー掲載サイト http://www.yorokobi.info

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