「喜びの詩」   第8号 2008年5月2日

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目次

□ 世界の成り立ちについて
■ 人のありようについて
   ● 体との連動
   ○ 眠りと死
   ○ 逸脱現象
   ○ 可能性
   ○ 運命
   ○ 他者
   ○ 神
□ 生きることについて
□ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
□ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて

(本号に掲載するもの:■●)
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─────── 体との連動


「もともとの意識」のもとで、全てが展開したと仮定するとき、
人というもののありようは、どう描けるだろうか。

一人の人としての生も、それを望む思いが発端になって、成り立つことになる。
その思いのもとに「具現化作用」が働き、様々な調整作業がなされ、
「個体の個性」の設定が整えられることで、その生は始まる。
この時、
「意識の属性」では、過去の記憶が封じられ、
「体験世界の属性」では、物質の世界が指定され、
「連動する体の属性」では、一人の肉体が指定される。
そして意識は、ありありとした世界に人として生まれるという体験をすることになる。

物質の体は、自動的に意識と連動する。つまりそれは「自動の働き」による。
こうした連動が可能になるのも、物質の世界が「もともとの意識」の中の情報であるゆえ。

意識は、連動する物質の体をもつことで、行いというものを得る。
行いは、この世界で思いを実現するための、強力な手段になり、
この「舞台」ならではの「舞」になる。

意識はもともと、脳がなくとも思考をもちえ、目がなくとも視覚をもちうる。
しかし、物質の世界を「舞台」にし、そこならではの「舞」をするには、
「舞手」の姿も、その世界の法則に則った、その世界に固有のものである必要がある。
それはつまり、どこまでもありありとした姿。
それはどこまでも明瞭で、どこまでもつじつまの合った姿。
人で言えば、それはつまり、物質の脳を備え、目を備えた姿。
脳は思考の働きを、目は視覚の働きを、最も具体的に、かたちにしたもの。

脳は、体の各部から情報を集め、また体の各部へ情報を送る器官。
脳をもった生物では、意識は、脳と連動することで、体と連動しうることになる。

意識と脳が連動するとき、
体へ情報を送る脳の動きは、意識の思いに追随する。
意識の感覚は、体から情報を集めた脳の動きに追随する。
そして、意識の思いも感覚も、その活動の自由度は、脳のつくりに追随する。

つまり、「意、識」とも、脳の「鋳型」に沿いながら、
「意」は脳を動かし、「識」は脳の動きを受ける。

連動する間は、脳の物質としてのあり方が、そのまま、意識にとっての情報の「鋳型」を成す。
よって、脳に物理的な変化が加えられれば、意識にも変化が起こりうる。
それは、脳が「意」を動かしていることを示すのではなく、
意識の沿う「鋳型」が変化し、「意、識」の自由度が変化したことを示すもの。

脳の動きの多くは、「自動の働き」によっても担われる。
しかし、その核にある自由な動きの担い手は、やはり「意」の他にはありえない。

意識の思いが変化すると、脳との連動によって、体内の状況も変化する。
喜びの方向をもった、正の思いは、体に正の影響を与え、
苦しみの方向をもった、負の思いは、体に負の影響を与える。
たとえば、体内に有効な成分を生み出したり、反対の成分を生み出したりする。
この働きのありようは、ちょうど「因果作用」のありように一致する。
つまり体のつくりも、喜びという目的にかなっているもの。

体調によって、意識の思いや気力が変化することもある。これは、
脳の状態によって、思いの自由度が左右されることで起きたり、
体調の感覚を受けて、意識が自ら、思いを変化させることで起きたりする。
後者なら、思いを体調以外に向けることで、体調と異なった気力の状態もつくれる。
たとえば、体調がよくても、悩めば気力を失いうるし、
体調がよくなくても、奮起すれば気力を増していける。
つまり健康とは、単に体の状態でなく、
意識と体が連動した全体として、気力が充実している状態を指す。

繰り返される体の動きは、体を鍛え、より激しい動きに耐えられるよう、体を変化させる。
これはつまり、「連動する体の属性」を変化させることにあたる。
同様に、繰り返される意識の動きは、いわば脳を鍛え、意識の沿う「鋳型」を変化させる。
これはつまり、「意識の属性」を変化させることにあたる。

結局、変化した結果の体も脳も、動きの実績を示すもの。
それはつまるところ、思いを反映したものに他ならない。



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 あとがき
ここでは、脳の動きが先か、自由意志が先か、という疑問を考察しました。
これは、魂などの存在を仮定する場合、避けて通れない問題になります。
意識が脳という物質の産物でありうるかどうか、ということについての突っ込んだ議論は、
また後で取り上げます(連載第47号予定)。
次号のテーマは、「眠りと死」です。
 それではまた。
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発行者 哲楽人  週2回発行(月曜・金曜)
バックナンバー掲載サイト http://www.yorokobi.info

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