「喜びの詩」 第7号 2008年4月28日
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目次
■ 世界の成り立ちについて
○ 完全な状態
○ 表現し、味わう
○ 設計し、演じる
○ 体験し、補佐する
○ 展開のかたち
○ 因果作用
● 生の歴史
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
□ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
□ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて
(本号に掲載するもの:■●)
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─────── 生の歴史
生物も、地球も、物理法則のもとに成り立っているもの。
しかし、そこにある豊かなつくりは、必ずしも物理法則の中には含まれないもの。
それはちょうど、レンガ造りの家にたとえられる。
その家は、レンガを積むという規則のもとに成り立っているもの。
しかし、家としてのつくりは、その規則の中には含まれないもの。
レンガにも、ある程度方向性があるゆえ、
それを積んでいけば、自然に壁ができるかもしれない。
それを放り投げれば、偶然に壁ができるかもしれない。
しかし、
それを積んでいけば、自然に家ができる訳ではない。
それを放り投げれば、偶然に家ができる訳でもない。
そこには設計図の存在が必要。
設計図をもとに、レンガが積まれることで、全体性をもった家ができる。
そのつくりは、レンガの中でなく、設計図の中にある。
生物や地球は、レンガの家より遥かに高度なつくりをもつ以上、
「設計」があってこそ成り立つもの。
その「設計」の由来は、意識の中の無限の可能性に求める他ないもの。
家が造られるには、まず、全ての発端になる、家を造ろうという思いが必要。
同様に、生物や地球がかたちづくられるにも、その発端になる、思いが必要。
思いによって「具現化作用」が働き出し、必要な「設計」が参照され、
物理法則に沿いながら、ある時ある場所に必要な現象が起きるよう、調整がなされていく。
宇宙がいわば稼働を始めてから、地球ができるまでに、それなりの歳月がかかっている。
地球ができてから、人という生物が現れるまでにも、それなりの歳月がかかっている。
それは、実現までに一つ一つ手順を踏んだ、調整作業が要した時間。
実現に向けた思いが強くても、それだけの時間がかかったのは、
実現された内容が、それだけ高度であることを示すもの。
つまり、漆黒の空間の中に、生物の楽園が成り立つことが、いかに高度なことかを示すもの。
岩と水の風景の中に、人が立ち現れるに至ることが、いかに高度なことかを示すもの。
思いが発端になって、物質の世界の歴史が始まった。
「具現化作用」によるドミノ倒しの、最初のドミノが倒された。
光と熱があふれ、時間と空間の広がりの中に、運動が生じた。
物理法則に則って、宇宙の構成要素が粒になり、塊になり、渦を巻き、離合集散を始めた。
ここで一つの思いが満たされた。
思いが発端になって、地球の歴史が始まった。
「具現化作用」による、もう一つのドミノ倒しがなされた。
離合集散する物質はやがて、漆黒の空間を円舞する球体になった。
ある光る球体の周りに、少し傾いて回転する惑星が、「設計」通りに配された。
その惑星の周りにも、ある大きさと距離をもった衛星が、「設計」通りに配された。
その結果、惑星からは、光る球体と衛星とが、全く同じ大きさで重なって見えた。
それらは、地球にとっての太陽と太陰。まさに「有、無」の組みを象徴するような存在。
それらの循環運動は、互いに重なり合い、日、月、年という調和した周期を奏でた。
ここでも一つの思いが満たされた。
思いが発端になって、生物の歴史が始まった。
「具現化作用」による、また一つのドミノ倒しがなされた。
太陽と太陰の周期的な影響が、地球上に躍動を与えた。
その地球上の環境と出来事を利用して、物質の小さな構築体が、「設計」通りにつくられた。
それが、意識に連動する体として指定され、個体として「演じ」られることで、
物質の体をもった生命体、生物が成り立った。
微生物の、単純ながら夢中の生は、喜びをもたらした。
それは次々に「演じ」られ、数を増した。
そして、環境と出来事と、生物自身の体を利用して、より複雑な構築体が生まれていった。
必要な「設計」が参照され、そのつくりは徐々に高度に進化した。
様々な「設計」が参照され、実に多様な生物が登場した。
それら生物の互いの関係は、常に地球全体と調和する生態系を成した。
そして、生物としての自由度が高まる中で、人という種が生まれた。
また一つの思いが満たされた。
これらのドミノ倒しは、実際は一つながりのもの。
それは思いの実現へ向けて、「原因と結果」の連鎖を、次々と積み重ねてきた歴史。
この歴史は、多様な生物の生も含めて、ありありとした、味わい深い、意義のあるもの。
これがもし、物理法則に反する力で一瞬になされたなら、味わいもなく、意義もなくなる。
時間と空間に沿って、ありありとした表現を味わうことが、物質の世界のつくられた意義。
そして、宇宙の歴史の当初から、思いがあり、味わうべき体験がある以上、
そこには生命体が存在したことになる。
それは宇宙で最初の生命体。
未だ連動する体をもたず、しかし物質の世界を味わうための、全ての感覚をもった生命体。
その「個体の個性」は、最小限の制限しか含まない、いわば稀薄なもの。
つまりその生命体は、最大限の自由度をもったもの。
宇宙における全ての生命体は、
この最初の生命体の「意識の属性」が、分岐することで成り立ちうる。
分岐を重ねることで、そこに個性の偏りが生まれていった。
そして、物質の体と連動することで、生は期限をもって循環するものになり、
それぞれの生では、その個体になりきるために、過去の記憶は封じられた。
とすれば、全ての生命体の最も深い記憶には、宇宙の歴史が刻まれていることになる。
人が登場してからも、ドミノ倒しは終わらずに、生の歴史は続いていく。
しかし、地球や太陽は、生物を育む環境を、永遠にとどめるものではない。
また、宇宙そのものも、天体を育む状態を、永遠にとどめるものではない。
つまり、物質の世界は、生物の「舞台」として、有効期限のあるもの。
それは、物質の世界が、ありありとした、現実的なものであるゆえの必然。
ただ、それで全てがなくなる訳ではない。
意識はもともと、時間と空間の外にある。
全ての体験は、意識の中に情報としてあり続ける。
そして、一つの宇宙の歴史が、たとえ終わりを迎えたとしても、
意識による表現は、有限にとどまることなく、無限に展開し続けるもの。
いずれにしても、今与えられている「舞台」で、精一杯「舞い」、それを味わうこと、
つまり、その体験世界ならではの、より大きな喜びを体験すること、
これが、生命体として生きる以上、なすべきことに変わりない。
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ここからは、これまで意識と呼んでいたものを「もともとの意識」と呼び、
生命体としての意識のことを単に「意識」と呼ぶ。
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あとがき
ここでは、いわゆるスピリチュアリズムと進化論が両立するような筋書きを提示しました。
この考えをうまく説明するためには、前段に「因果作用」などを説明する必要がありました。
これまで取り上げた内容が、一つのまとまりを成したところで、
「世界の成り立ち」については一段落し、次に「人のありよう」の考察に入っていきます。
次号では、人の誕生や、意識と体の連動について考えます。
それではまた。
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発行者 哲楽人 週2回発行(月曜・金曜)
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