「喜びの詩」 第2号 2008年4月11日
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目次
■ 世界の成り立ちについて
○ 完全な状態
○ 表現し、味わう
● 設計し、演じる
○ 体験し、補佐する
○ 展開のかたち
○ 因果作用
○ 生の歴史
□ 人のありようについて
□ 生きることについて
□ 自分の生を、より大きな喜びにすることについて
□ 他者との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ 社会との関わりを、より大きな喜びにすることについて
□ いくつかのものごとについて
(本号に掲載するもの:■●)
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─────── 設計し、演じる
意識は、表現を展開させるにあたって、最もふさわしい筋書きを思いついた。
それは、いわば「舞台での舞」。
自由度をもった広がりの中に、主体性をもった存在が登場し、
そこで具体的な表現を繰り広げ、それを味わうというもの。
ここでの「舞手」は生命体、「舞台」は体験する世界、「舞」はその生の体験にあたる。
この筋書きに肉づけをするため、意識は必要な全ての情報を生み出した。
基本的な様々な要素。
あらゆる法則や仕組み。
時間、空間、現象、五感といった概念。
より具体的な、生命体のつくりや、体験世界のつくり。
意識は、無限の力を投入して、どこまでも精緻な情報をつくり上げた。
これは、いわば「設計」するという試み。
これは、意識の表現の一つの方法。
それは、無限の可能性から汲み出すように、情報を生み出すこと。
こうして整えられた、「舞台での舞」の筋書きも、
そのままでは描かれた設計図にすぎない。
それを今度は、生きたものにすることが必要になる。
意識はもともと、全く自由だった。
それゆえ、自らつくり上げた情報という「鋳型」に、
自ら沿って動いてみることも、また自由の内。
そうすることで、筋書きは生きたものになる。
これは、いわば「演じ」るという試み。
これも、意識の表現の一つの方法。
それは、意が動いた軌跡として、情報を生み出すこと。
「演じ」るとは、意識が、ある自由度の制限下で動くこと。
そしてそこでは、認識が制限されることで、その制限が制限とわからなくなりうる。
つまり、「鋳型」の中で不自由を感じず、その役になりきることができる。
たとえば、ある法則に沿って、情報を機械的に処理したり、
時間という枠組みに沿って、順番に一つずつものごとを思ったり、
思考や感覚が制限された中で、かすかな感情をもったり、
制限をより緩くした中で、より豊かな感情をもったりしうる。
そして、いずれの状況下でも、意識は不自由を感じずにいられる。
さらに、情報を構築して、具体的な現実が感じられるような仕組みをつくり、
その「鋳型」に沿えば、情報を、ありありとした実体として感じることもできるようになる。
つまり「設計」した仕組みを「演じ」ることで、
認識上に、具体的な現実をつくり出せる。
これが結局、意識による「創造」にあたるもの。
つまり意識にとって、本当に実在する物質というものを、
意識の外につくり出す必要はなかった。
そもそも、意識が扱えるものは情報。
そもそも、「意識の外」はなく、意識が存在の全て。
だとすれば、意識は、情報を、意識の中につくり出すのみ。
ただ、その情報はどこまでも精緻なもの。それゆえ、
物質の設計図と、認識の「鋳型」を、情報としてつくり出すことは、
本当に実在する物質をつくり出すことと、もはや同じ価値。
どちらの表現も、その味わいは、情報として全く同じになる。
そもそも、認識された世界は全て、その世界そのものではない。
それは、ある認識の「鋳型」を通して捉えたもの、つまり情報。
その像がどんなにありありとしていても、それは情報の表現。
そして、「鋳型」を通して捉える限り、その先にある世界が、
捉えた通りの実在なのか、やはり情報の表現なのかは、判別できないことになる。
光というものが、情報として具体的に描き出され、
それを実在と感じるように、認識が制限されるとき、
「実在する光」の体験が、そこに生まれることになる。
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意識の表現は、「設計」することと「演じ」ることの、二つからなる。
この二つの、情報の生み出し方は、互いに連携する。
「設計」することで、その情報に沿って「演じ」ることができ、
「演じ」ることで、さらに情報を二次的に設計することができる。
たとえば、「設計」することで、正の要素が生み出される。
「ある要素の欠乏や無」にかたちを与える仕組みも、また生み出される。
そしてその仕組みを「演じ」ることで、対照的な負の要素が生み出される。
そうして、
「光」という概念に対して、「闇」という概念が、
「熱」という概念に対して、「冷」という概念が、
「動」という概念に対して、「静」という概念が、
「喜び」という概念に対して、「苦しみ」という概念が、二次的に生じうる。
ここで、正の要素は、意識のもともとの方向性を引き継ぐもので、
特に「喜び」という概念は、その方向性を直にかたちにしたものにあたる。
負の要素は、「演じ」ることで初めて生まれる。ゆえに、
「設計」も「演じ」もされていない、表現以前の状態には、それは当然含まれていない。
つまり負の要素とは、もともとはなかったもので、
ありありとした表現をするにあたって、駆り出されたもの。
そして、表現が正の方向へ無限に展開する先に、再び無に帰するもの。
「設計し、演じる」表現は、様々に展開していく。
その中で、
「設計」する表現は、ものごとのかたちを限定し、
「演じ」る表現は、意識の自由度を限定し、
いずれもありありとした表現として、負の要素を伴うことで、
個々の表現は、「不完全な」ものになる。
しかし、
より高度に、より多くのものごとを「設計」し、
より味わいを高めて、より多くの役を「演じ」、
そうして表現を正の方向へ向けながら、無限に展開させることで、
表現は全体として、「完全な」ものになる。
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あとがき
ここでは、「色即是空」や「創造神話」などの世界観が両立する筋書きを提示しました。
また、いわゆる唯物論でなく唯心論に立っていますが、これは最初の仮定から来る
必然的な帰結でもあり、また、他にもいくつかの理由があってそうしています。
(その辺については後で議論します。連載第46号予定)
結局のところは、そうした方が、より多くのことが説明できるからですが、
とりあえずは、あくまで思考実験の「物語」と見て頂ければと思います。
次号のテーマは、どう「演じ」ていくか、です。
それではまた。
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発行者 哲楽人 週2回発行(月曜・金曜)
バックナンバー掲載サイト http://www.yorokobi.info
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